『アイアンマン』を観た

兵器製造業に勤しむトニー・スターク社長は、ある日、自分の作り出した兵器がテロリストに使われていることを知り、ショックを受ける(ついでに誘拐される)。一時は落ち込む社長だったが、「俺にできる唯一の罪滅ぼし!」と鋼鉄の戦闘服に身を包み、アイアンマンとして悪と戦うのであった。


社長のキャラクターが素晴らしい。男の子の夢が服を着て歩いているようなキャラクターだ。金持ちで、天才で、しかも自由に遊びまくっている。しかし、ちゃんと正義の心を持っていて、やる時はやる。
社長を演じるロバート・ダウニーJrもピッタリとはまっている(吹き替えは大塚芳忠を希望!)。アイアンマンのデザインもカッコいい。初めての装着シーンと紛争地帯殴りこみは素直にワクワクした。そう言えば、これは故スタン・ウィンストンの仕事だ。合掌。
社長以外のキャラクターも良い。ジェフ・ブリッジステレンス・ハワードは手堅い演技を見せてくれるし(とは言え、ジェフ・ブリッジスに関しては悪役だったので、もっと暴れてほしかった気もするが)、グウィネス・パルトロー演じるツンデレ要素を持つヒロインはやたら可愛い。社長とのやり取りは何かニヤニヤしてしまう。自由奔放なオッサンとシッカリ者の秘書というカップリングが好きな人は必見だ(どれくらいいるかな?)。
ただ、アクションに関しては不満が残る。全体的に意外なほどアクションが少なく、ラスボス戦も妙に呆気無い。伏線が張ってあったとは言え、あれでは地味すぎると思う。同じマーヴェル映画である『インクレティヴル・ハルク』のラストバトルが凄まじかったせいか、このラストバトルが小競り合いレベルに見えてしまった。アクションを期待していた私としては、この驚くほどサッパリとした感じに肩透かしを食らった感は否めない。せめて『ロボコップ2』くらいやりあってほしかった。ラスボスも生身の人間を数人吹っ飛ばしたくらいで、あまり強さが伝わらなかった。この辺りは「アイアンマン誕生」に重点を置いているシリーズ1作目の宿命だろう。この辺りの改善は、説明不要で最初から暴れられる続編に期待したい。
さて、そんな問題点がありながら、それでもこの映画が面白かったと思うのは、やはり「そりゃ社長の人徳でございますよ!」「男の星座」における編集Hのような(平社員ってことです)コメントが一番シックリくるだろう。とにかく社長最高!という映画だった。

『アイアンマン』・・・・★★★☆☆

とは言え、個人的には自家用ジェットを乗り回す社長より、徒歩で逃げ回る住所不定無職のハルクを応援してあげたい気もする。あと、エンドロール前にわざわざ「この後にオマケがありますよ」的な字幕が出たが、あれって「アベンジャーズ」を知らないと意味が分からないから、結局は意味が無いのでは?とも思う。

『ウォンテッド』を観た。

会社勤めのは、自分が何者なのかもわからない。パニック障害があるので、薬を何時も手放せない。どんくさい俺は、上司には怒られ、恋人は俺ん家の台所で別の男(会社の同僚)とバコバコやってる。俺はそんな彼女の為にモーニング・ピルを買ってやる。そんな俺の前に突如としてアンジェリーナ・ジョリーが現れた。なんと俺は伝説の暗殺者の息子だと言うのだ。よし、いっちょやってやろうじゃねぇか!


『ウォンテッド』は血と銃弾がCGで飛び交う青春アクション映画だった。
主人公が他人とは思えなかった。いや、勿論彼女の辺りや会社勤めの辺りは全然違うんだけど、この映画を観に来ていた全ての一人の野郎にとって、単純で安直な性格をしているこの主人公は他人ではない筈だ(細かい事をいうと、僕もストレスとかがもろに腸に来るタイプなので「薬を手放せない」という設定まで被った)。「毎日同じことの繰り返し、ちくしょう!俺はこんなんじゃない筈だ!」と何処かで思っているが、具体的に何が出来るわけでもない。そして、すぐに謝り、意外なほどアッサリと一線を超えてしまう。
主人公の行動・心理が自分にそっくり過ぎて、最初はワクワクしたが、少しずつ居心地が悪くなる(具体的に言うとジョリ姐の壮絶カーチェイスが終わった辺りから)。
初の殺しの仕事で、主人公は失敗する。「上からの命令に従って名前しか知らない人を殺すことなど出来ない」という、至極真っ当な理屈だ。しかし、それも「運命だから」というジョリ姐の説得に納得してしまう。
開き直ったようにノリノリで仕事をこなす主人公を観ていると、居心地がさらに悪くなる。
そんな主人公は手痛いしっぺ返しを食らう。
何も考えずに運命に従っていればいいなんて、それでは最初と変わらないのだから。運命とは自分で切り開かねばならない。
ラスト、主人公は観客に問いかける。
「あんたは最近何した?」
その言葉は現実逃避を期待して来た客の胸に深く突き刺さる。

・・・・と、偉そうに書きましたが、ま、要はダメ人間的には感情移入出来過ぎてしまうという話です。
ドラマ的には、中盤まで主人公が親父を慕い続ける動機付けがイマイチ弱かったような気がします。あとは一般人巻き込みまくりの『カサンドラ・クロス』バトルは、主人公に感情移入していた私でも、居心地の悪さが凄かったです。あと、意外にゴア表現が凄まじいので(筆者的には全然ウェルカムですが)、その類の描写が苦手な人は困るかもしれません。後半もシリアス展開なので、「徹頭徹尾、爽快なアクション!」を期待すると裏切られると思います。
アクション的には前半のCGバリバリの「何が起こっているかよく分からんが、とにかくスゲェ!」という力技で見せるアクションが凄かっただけに、「拳銃リレー」のようなテクニックで見せるクライマックスのアクションが若干地味にも感じられました。また、ラスボスとの対決が意外に呆気なかったのも個人的には残念でした。せっかくの達人同士の対決なのだから、一対一で真正面からド派手な銃撃バトルをしてほしかったとも思います(そりゃモーガン・フリーマンに壮絶アクションを期待するのも無茶な話だが)。とは言え、前述したように前半のCGバリバリのバトルはかなり凄まじく、予告でも観れるビルからダイブ&乱射は物凄くカッコいいし、ジョリ姐のカーチェイスは、最早何が起こっているのかもよく分からないレベルですが、とにかく凄かったです(目が回るから苦手という人もいると思います)。喩えて言うならば(アニメの話になって申し訳ないのですが)『マクロスプラス』での板野一郎さんの描く空中戦を完璧に目で追いきるのは多くの人には不可能だと思いますが、そのスピード感には有無を言わせぬ迫力と爽快感があります。あんな感じです。
つまり、CGが凄いのではなくて、監督のイマジネーションが凄いのだと思います。CGを見せるのではなく、CGで見せる。『マトリックス』以降のアクション映画における、正しいCGの使い方を実現したアクション映画だと思います。

『ウォンテッド』・・・・★★★★☆

追伸、ジョリ姐のカーチェイスは(たぶん)『ダークナイト』と同じ場所でやってるので、見比べてみるのもいいかもしれません。

『デトロイト・メタル・シティ』を観た。

お洒落なポップスをやりたいと上京した根岸は、どういうわけかデスメタルのバンドをやることなる。「こんなバンドはしたくない!」と文句を言いながらも、本人の予期せぬ形で次々と伝説を作り上げていくことになる。


松山ケンイチが凄かったです。これからマンガ・アニメの実写版を企画する際に、及川光博と並んで名前が挙がることになるだろうと思います。あとは社長役の松雪泰子も良かったです。ただ、その一方でジャギ役の細田よしひこカミュ役の秋山竜次はイマイチでした。松山と松雪がやたら巧いせいもあるでしょうが、この二人はほとんど空気扱いです。そして加藤ローサ。メインヒロインの筈なのに(私の性癖も関係しているでしょうが)松雪演じる社長の方がヒロインっぽかったです。いや、これは私の性癖に関係なく、そう見えて仕方がない筈です。社長を「根岸の才能の理解者でありヒーローを望む大衆の代弁者」という、メインヒロイン級のポジションになっているのですから。そうなると、凡庸でありきたりなヒロイン像を平凡にこなす加藤よりは、エキセントリックな社長役を全力でこなす松雪の方が目立つのは自明の理です。
でも、そんなキャスティング以上に不満なのが映画その物のトーンです。
デトロイト・メタル・シティ』の面白さは「過剰さ」にあったと思っています。
「東京タワーが濡れてやがるぜ!」などの壮大なバカバカしさ、「あの娘をレイプ!」などの度を越えた不謹慎さ、そういう過剰さが魅力であり、個人的には「根岸」と「クラウザーさん」という二面性とか、相川さんとの恋の行方だとか、そんなんものはどーでもいいと思っていたんです(最近は原作も過剰さが薄れてきたような気がして悲しいです)。しかし、映画ではその「二面性」と「相川さん」との関係をピックアップし、そこを中心にこじんまりと纏めているのです。
前半はしょぼいコントが延々と続き(残念ながら私は笑えなかった)、後半からは「才能と向き合おうとしない根岸が、才能と向き合うことで大衆のヒーローとなる」までを描きます。それはそれでイイ話なのかもしれませんが、「日米ファック対決」とかを期待する私のような人間には、そんなのはどうでもいいことです。夢?親子愛?ラブコメ?そんなものは見えやしね―――――!! 加藤ヨシキの目にうつるものはただ一つ!! 破壊―――(デストロ―――イ)!!!
取り乱しました。
とにかく。結局は若い女性向けなんだと思います(脚本が女性らしいので、それも関係していると思いますが)。だから相川さんが最後に全ての人のヒーローになった根岸を認めると同時に、勝手にステージに上がってクラウザーに「根岸君でしょ?」と問いかけ、(結果的には)自分がヒーローと「ヒーローと大衆」以上の特別な関係にあることアピールするのだと思います。あれは私にはヒーローの仮面を自分の為に剥ぐ無粋な行為にしか見えませんでした。相川さん以外誰も得をしないし。この映画は前述したようにラブコメ好きな若い女性には受けると思います。ただ「東京タワーをレイプ」「48のポリ殺し」「タンバリンなどレイプしてくれるわー!」「0.5ファック勝ったぞー!」といった映画では消された部分愛する人間にとっては―、そんなラブをコメってる映画なんざいらねぇ!ただ脊髄反射で楽しみたいだけなんだよ!とりあえずヘイル・サタン!あー『アイアンマン』と『ウォンテッド』が楽しみだぜ。



デトロイト・メタル・シティ・・・・★★☆☆☆


追伸、俺は同じメタルの人が頑張る話ならば『乱気流タービュランス』の方が好きだぜ!あとジーン・シモンズが出ている映画ならば『デトロイト・ロック・シティ』!傑作!ロックンロール!

『ホット・ファズ/俺たちスーパーポリスメン!』を観た

ロンドンで活躍する超敏腕警察官のニコラスは、周囲が無能に見えるほどの頑張り過ぎが疎まれてド田舎に左遷される。そこは表彰を受けるほどの平和な田舎だったが、何処か歪な所があった。案の定、村人は狂気の集団であることが判明。ニコラスは現地のボンクラ警官ダニーと共に戦いを挑むのだった。



前作『ショーン・オブ・ザ・デッド』は終始ニヤニヤしながら観た。凄く面白かったけど爆笑した記憶は無い。だから、今回も最後までニヤニヤしながら見るような感じだと思っていた。違った。今回は爆笑するポイントが何箇所もあった。でも、それが逆にいけなかったのかもしれない。
どうも前半がダレる。
トニー・スコット風の演出を何でも無いシーンに使う、というギャグをひたすら押すのがキツかった。一回目は笑ったのだけど、僕は二回目以降はダレてしまった。とは言え、これは僕が同じギャグをしつこく繰り返すネタがあんまり得意じゃないせいだとも思う。
あとキツかったのは、謎を追う部分だ。あのダラダラした空気、そして会話の中にある気の利いたジョークを楽しむのが英国流なんだろうけど、その流れをブッた切るようにドリフ的(「ザッカー的」でもいい)な即物的な笑いが入るので、ドリフやザッカーが大好きな僕はそっちにばかり反応してしまう。そのせいで、そうでない部分がダラダラしてるなとも感じてしまう。「もっとその手の悪趣味残酷ギャグを中心に!パブでダラダラしてる場合じゃねぇよ!」と身も蓋もないないことも思った(その手のギャグに終始したら英国コメディーでなくなるだろうし、例の署名活動も起きなかっただろうけど)。
あとはラストの銃撃戦。もうちょい派手に、それこそマイケル・ベイジョン・ウーのようにキメキメ&ド派手に撮ってほしかった。この辺りは監督がアクション演出に関しては本職ではないから仕方がないのだろうけど。
・・・・等と偉そうに文句ばっかり書いたが、これは全て僕自身の細かい嗜好の問題だ。と言うか、ここまで読み返してみて、我ながら傲慢な文書だ。「英国産コメディーだと知りながら観に行って、英国コメディーは気に入らん」ってちょいと我儘だろ。この精神的白豚野郎、ちょっと死んでこい。



生きる



では、こっからは良い話を。偉そうに文句ばっかり書きましたが、全体を通してみるとかなり面白かったです。特に「主人公ニコラスの推理が実は全く見当違いでしたー!動機はもっと無茶苦茶でしたー!ヒャヒャヒャー!」辺りからの流れは大好きです。
前述したように、ドリフ的な笑いが多いのも気に入りました。パントマイムのオッサンのギャグや、パブの子供たちのギャグ。あとは知恵遅れのオッサン絡みのギャグ。そして、まさかのラスト。この21世紀に爆発オチで最後を締めるとは思わなかったです。しかも、ガレキの中でゴホゴホ言いながら「大丈夫かー!?」と確認しあうとか、もう劇場で観ることは出来ないだろうと思っていましたから。あとは人体損壊系のギャグが妙にツボに嵌りました。特に、非常に重い落下物の直撃を食らって頭がグチャグチャに潰れて無くなってしまった人がフラフラと歩き回るシーンで大爆笑(こう書くと笑えないシーンみたいですが、見せ方は本当にコミカルです。エグイけど。)。あの一連の残酷ギャグは、『バット・ボーイズ・2バッド』でロシアの死神さんの連れが缶詰にされて出てくるシーンで笑った人間としては、「おお!マイケル・ベイやね!」と親指を立てました。そして監督の誠実さ。元ネタを知らなくてもクライマックスの重要なパロディーが分かるようになっているし、分かる人には分かるギャグもあるし(なんでチャック・ノリスの数ある映画郡の中からよりにもよって『バイオニック・マーダラー』を選んだのかとか)。本当に気の利いた映画です。そんなわけで、映画的な完成度は素晴らしいモノがあります。そして数人の被害者を除いては、誰も死なないというピースフルな側面も(それは違うか)。
ただ、映画的な完成度よりも、勢いで暴走するような映画が好きな僕としては、やや不満が残るのも事実です(この感覚は先生が何故か優等生よりもヤンキーを可愛がる感覚に近いのかもしれません)。
とは言え、個人的には『バットボーイズ2バッド』と『ハートブルー』に紛れて、セガールの『アウト・フォー・ジャスティが画面に堂々と映っていただけで、何というか、もう満足です。セガールをデカい画面で見るのは『イン・トゥ・ザ・サン』以来だったなぁ。『DANTOTSU/弾突』北九州でもやらないかなぁ。



ホット・ファズ/俺たちスーパーポリスメン!』・・・・★★★★☆

追伸、この映画の公開を求める署名活動には僕も参加しました。で、そのコトを踏まえた上で何か一言いうならば、なんで同じ全米大ヒットコメディーである『最終絶叫計画4』の公開を求める運動は一切起こらなかったのでしょうか。大好きだったんだけどな、アレ。

『ドラゴン・キングダム』を観た。

チャイナタウンの質屋(老けメイクのジャッキーが店主!)で海賊版功夫DVDを漁るしか能が無い、功夫オタクの・・・・、もといジェイソン君が異世界に旅立ち、ジェッキーとジェットの特訓を受けて(ついでにアジアンな美少女と恋愛したり)、世界を支配する極悪な将軍(中ボスは白髪でサドっ気全開の美女)に立ち向かう。現実世界に戻ったジェイソン君は強くなっていたので、異世界に行く前までやられっ放しだった絵に描いたような不良ドニー・イェン並みの技でシメるのだった。


ゼロの使い魔』という小説がある。どんな話かと言うと、特にこれといって特技があるわけではない平凡な少年が、突然ハルケギニアという異世界に召還されて、魔法使いの美少女ルイズと一緒に修行して一人前の使い魔になる、というもの。『ドラゴン・キングダム』の基本的なストーリーはこれと同じだ。ただし、そこにあるのは魔法ではなく功夫であり、待っていたのはルイズではなくジャッキーとジェット・リーだったという話だ。
日本生まれ日本育ち、日本から出たことも無いという私には、この類の話はアニメやマンガの方が馴染みがあるが、こういうのは世界中で何度も何度も繰り返されている話である。「平凡な少年少女がひょんなことから異世界に迷い込み、そこで冒険や恋愛してそれなりに成長して現実世界に戻ってくる。」このストーリーラインに沿った創作物は物語が娯楽性を求められるようになって以来、どれだけあっただろうか。ただ、それが「平凡な少年少女」から、「現実世界がサッパリな少年少女」に変わったのは、(とりわけ映画の世界においては)恐らく80年代くらいからではなかろうか。原作ファンの抜いてはいけない度肝を抜いた『ネバー・エンディング・ストーリー』を筆頭に、シューティングゲームで高得点を出した少年が宇宙人にスカウトされて宇宙戦争する『スター・ファイター』なんてのもあった。ワックスで車を磨いていたら強くなったという通信教育よりもライトな空手映画『ベストキッド』も、この類に入るのではなかろうか。そうなると、苛められっ子の少年がブルース・リーの亡霊に特訓を受ける『シンデレラ・ボーイ』にトドメを刺す。90年代になってくると、冒険するのは「少年少女」ですらなくなる。『マトリックス』では人類の救世主として戦うことになるのは、ごく平凡なサラリーマンだ。
この類の映画は、今日も世界中で「俺も選ばれし者になれねぇかな。」と、無邪気な選民思想を抱いて眠る推定10億人のボンクラに一時の夢を与えてくれる。そして、『ドラゴン・キングダム』はそんな妄想に完璧に応えてくれる映画だった。素晴らしい。私は映画を見ながら、この時間が永遠に続けばいいと久しぶりに思った。終わらなくてもいい、この映画の世界にずっと浸っていたい―。
だが、一度「夢」を覚えた大人が、劇場で夢を抱く時、そこには哀しみが発生する。自分が「選ばれし者」になることは99%無いであろう事を知っているからだ。この映画は、まだ「ボクだって修行すればオーラとか出せるんだ!」と無邪気に信じていたあの頃に観たかった。そうすれば、クライマックスで「ああ!これで終わってしまう!」などと真剣に嘆くこともなかっただろう。
映画館とは夢を観る場所であり、夢と引き離される場所である―、そんなことを今更ながら思った。

とは言え、この映画に涙した選ばれし者予備軍日本支部の人間たちは、もうちょいしたらアンジェリーナ・ジョリーに招かれて殺し屋組織に入ることになるだろう。絶対に。